北タイ・チェンライ県にある「メーサロン」は、華人によって作られた町です。
以前は何もなかった山岳地帯に、中国の雲南省付近からビルマ(現・ミャンマー)を経て移り住んだといわれる華人たち。
その華人たち、現在メーサロンに住む住人のほとんどは「段将軍」率いる、国民党第5軍93師団の子孫たちと言われています。
激動のアジアで起こった悲しい歴史、辛い戦い、それを乗り越えて今タイの地で生きる人たちの想い、その全てが今回ご紹介する「段将軍陵園(段将軍の墓)」に込められています。
今回の記事では、
華人たちにいったい何があったの?
段将軍ってどんな人?
段将軍陵園ってどんな場所?
段将軍陵園への行き方や場所は?
といった内容についてお話ししたいと思います。
2020.2.4アップデート
再訪したので、記事の追記と修正、一部写真の貼り換えを行いました。
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段将軍の功績
中国の内戦で敗れた国民党軍の行く先は・・
1945年のこと、第二次大戦が終了し日本軍が中国大陸から撤収して数ヶ月の間、大陸及び台湾島を支配してきた「国民党」と、ソ連が支援する「共産党」が衝突(国共内戦)。
1949年10月、とうとう国民党軍は共産党に敗れてしまい、当時沿岸部に近いエリアにいた蒋介石率いる軍人など関係者は、そのまま台湾に逃れることができました。
しかし、四川省や雲南省など、海から遠いエリアにいた部隊は逃げる機会を失ってしまい、何日もかけて険しい山岳地帯を南へ南へ・・と、1000キロにも及ぶ道のりを徒歩や馬によって敗走して行ったそうです。
雲南省の南端までたどり着いた部隊は、まっすぐ南下すればラオス、南西に向かえばビルマ(現ミャンマー)という分かれ道に差し掛かります。
この時、雲南軍の指揮官だった李将軍・段将軍率いる93師団は、南西に進路を取り、ビルマを目指したそうです。
後から遅れて到着した部隊は、南に進路を取りラオス北部のムアンシン・ルアンナムター付近を目指したと言われています。
そして、国境付近の山岳地帯に潜みながら、密かに反撃のチャンスを伺っていたのです。
段将軍率いる93師団、第二の危機
段将軍の93師団は、ビルマ領土のシャン州にたどり着きました。
当時のビルマ国内は内戦が激化して混乱を極めており、段将軍はビルマ共産党の手が行き届いていない最北部にある同地を軍基地として占拠。先住民や少数民族と協力しながら、中国奪回の機会を伺っていました。
その後アメリカからの支援・協力もあり、東南アジア北地区にて急速に軍備拡大を果たしました。
一方、領土を占拠されたビルマ共産党政府は、中国共産党と連携しながら、掃討作戦を開始。
この時にシャン州を追われた国民党部隊は仲間散り散りになりながら、再び敗走することとなりました。
東側へ向かえばラオス領。旧友たちに会える。しかし国境線には共産党の部隊がすでに待ち構えている。今はまだ決戦の時ではない。
地図を睨んでいた段将軍が発した一言。
「南へ向かう」
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到着したのはタイの山奥
タイ・ミャンマー国境付近は、恐ろしく切り立った岩でできた山岳地帯。
他の部隊は、次々に遭難したり、みんなはぐれてしまいましたが、段将軍の部隊は違いました。
指揮官や将軍を失った部隊も多く、仲間とはぐれた他部隊の兵士や家族も段将軍を頼り、彼に従ったそうです。
部隊員とその家族、部隊のトップを失い段将軍についてきた他部隊の人まで合わせると、なんと総勢5200人以上での大行進。李将軍・段将軍は、この大所帯の指揮を一挙に引き受けたのです。
仲間や部下、その家族の安全を最優先した段将軍は、当時はかなり脆弱な情報環境にもかかわらず、徹底的にルートの精査をしたそうです。
よって、段将軍率いる93師団と、それに従った多くの部隊は、無事にタイ領土を踏むことがでました。
その場所は、タイの最北部の山奥。
93師団は現在のメーサロンがある山中に腰を下ろし、何もなく山の奥深いジャングルを開拓して町を作りました。
他の部隊員は、戦うのをやめた者、戦い続ける者と別れ、タイ北部の各地に散っていったそうです。
資金難のため、メーサロンにて麻薬原料の栽培を始めた93師団とその仲間たち。
この当時、タイの最果てであるこの地は、タイ政府の管理が及ばない山奥。段将軍はこの地を実効支配し、軍事訓練を続けながら、山岳地帯にたびたび出没する共産ゲリラと戦い続けていました。
段将軍、タイ国軍と連携し本領発揮!
それから数年。
1972年のことです。
1949年の内戦敗北、敗走からまさに23年もの月日が流れたこの日。
タイ国軍から正式にお呼びがかかりました。
この頃のタイ北部は、中国共産党の息のかかった共産ゲリラがたびたび出没する、極めて不穏なエリア。
タイ政府は当時、プミポン旧国王のお母様が後押ししていた「麻薬撲滅のプロジェクト」と、タイ国軍が目指していた「共産ゲリラの掃討」。この2つをタイ北部統治の課題として頭を悩ませていました。
そこで、タイ政府と国軍から「今後もタイ領内に住むのであれば、93師団も一緒に戦いましょう!」という正式なお誘い(条件付きの提案)があったのです。
また、台湾からのバックアップも途切れつつあった当時、消耗しながら戦うことに疲れていた部隊。そして部下たちの今後の暮らしを案じていた段将軍は、互いの利害も一致することからタイ国軍の指令下に入ることを快諾。
ここでついに93師団は本当の力を見せつけます。もともと山岳地帯での戦術に長けていた彼らは、最新の武器を手にしたことにより本領発揮。次々に共産ゲリラの部隊を掃討していき大活躍!今までタイ正規軍がかなり苦戦していたゲリラを相手に、あっという間に制圧したそうです。
その数年後、反政府組織や共産ゲリラ武装組織は弱体化し、動きはほぼ収まり、時をほぼ同じくして段将軍は亡くなりました。1980年のことです。
そして段将軍が亡くなってから数年が経った1987年。
タイ政府は、将軍の功績と部隊の勇敢さをたたえ、93師団とその家族、部隊の仲間たち全員に対しタイ国籍を付与。武装解除と、今後麻薬の栽培を一切しないことが条件でした。
こうして彼らは、厳しい現状に耐え抜き、戦い続け、部下やその家族が今後永年にわたり、タイ国民として平和に暮らしていくための「国籍」というチケットを勝ち取りました。
その段将軍の功績をたたえ、メーサロンの町を見渡せる丘の上に建てられたのが「段将軍陵園(段将軍の墓)」なのです。
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段将軍陵園ってどんなところ?
メーサロンの山道をのぼった丘の上に建てられた墓園です。
車やバイクでもアクセス可能です。
小学校がある西エリアに、立派な入口の門がそびえています。
通り沿いにあり目立つので、すぐ分かるかと思います。
門の横には「段将軍茶店」という商店が。
段将軍の子孫が経営しているお店です。この家族は現在でもメーサロン町の有力者でもあります。
門から墓まで徒歩で登っていくと、約20分程度かかりますが、バイクや車で入っても問題ありません。
途中はきちんと舗装されていますが、ところどころ土砂崩れの跡が・・。
険しい山には変わりありません。
途中には新しくヴィラリゾートがオープンしていました。
道が左右に分かれますが、どちらに行っても一緒です。
一番上まで到着すると、売店が一つだけ営業中です。
中では冷たい水や、お茶などを販売しています。
メーサロンの町並みが見渡せるところに「DOI MAESALONG」の表示が。
撮影スポットなのでしょう。
私たちは、オフシーズンでもある雨季に訪れたので、この日観光客は誰もいませんでした。
正面には、お墓に続く階段があります。
ふと前を見ると、軍服姿の男性がお墓に向かっています。
大きな「福」の字が記されています。
この奥にお墓が。
この方、旧93師団の隊員として、段将軍の指揮のもと戦ってきた元兵士だそうです。
現在ではタイ国軍の予備隊所属。
定期的にここを訪れ、清掃をしたり、お供え物を替えたりしているとのこと。今でも将軍を尊敬し慕っているようです。
私たちも横に並ばせてもらい、お線香をあげ一緒に手を合わせました。
立派な墓石の後ろからは、将軍が生涯大切に守ってきた人たちが暮らすメーサロンの町を一望できます。
「段将軍、あなたが守ってきた人たちは、今では「お茶」を栽培したり、観光開発をして生計を立てています。あの時あなたが選んだ、メーサロンの地で今も平和に暮らしていますよ・・とても素敵な町ですね。私も妻もこの町が大変気に入りました。また寄らせていただきます。」
よそ者ながら、墓前にてご挨拶をさせていただきました。
この墓園を建てるのに協力した人たちの名簿。
横には、93師団が歩んできた歴史が写真とともに展示されています。
帰り道、石段の頂上から眺める景色。
このように、将軍の「家族」が暮らすメーサロンの町をいつでも見下ろせるように・・という想いで、この墓園が建てられました。
段将軍陵園への行き方・アクセス・場所
Googleの地図では、正しい道順が出ませんでした。
車やバイクで行く場合、小学校のあるエリアの「TMB銀行」近くの向かい側に入り口の門があり、そこから登って行くことになります。
町の中心地であるセブン前から行く場合、徒歩だと距離がありすぎるので「バイクタクシー」の往復利用が便利です。
門から墓園までは徒歩だと20分程度。車やバイクだと5分もかからず到着できます。
まとめ
メーサロンの歴史を語るには外せない「段将軍」
その墓園が、メーサロンを見渡す丘の上にそびえています。
将軍の生き様や、部下や子孫たちの辿ってきた道、この町の生い立ちに想いを馳せながらここを訪れてみたら、きっと新たな発見があるはずです。
クルマやバイクをレンタルかチャーターして「天空の寺院」とセットで訪れるのもおすすめです。
疲れたらメーサロンのレトロなカフェで一息
町はずれにある風情のあるお茶屋はいかが?
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町の中心部から徒歩圏内の中華風ホテルはこの記事!
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